感銘を受けた、ツイートたちを紹介。
アスリートの技術が向上する時は、こうなれば良いはずだというざっくりとしたコンセプトはあるのだけれど、決してそこに向けて順調にうまくなっていく訳ではなくて、あれなんかこれいいかもしれない、という偶然出た感触を追いかけて再現させようとするというのが実際の所だと思う
— 爲末大 Dai Tamesue 熟達論発売中 (@daijapan) April 8, 2012
例えば自転車に乗れるようになる時も、まずは理屈を習い、既に乗れている人の外からのアドバイスがあるのだけれど、一番頼っているのは感覚で、一回試してみて、いい感じじゃなかった事と、いい感じだった事の違いを自分で察し、いい感じを追いかけていく事で乗れるようになる。
— 爲末大 Dai Tamesue 熟達論発売中 (@daijapan) April 8, 2012
迷惑をかけない人間なんて一人もいない.
ただ, 役に立たない人間も一人もいない.— ふぁい@エンジニア社長 (@phi_jp) April 10, 2012
選手は自分が一生懸命頑張ればなんとか手が届きそうなちょうどいい高さに目標が設定された時、モチベーションが最も高まる。これが低すぎても緩んでしまうし、高すぎるとどこかで信じきれない自分が出てきて努力が浮ついてしまう。着実に歩を重ねればいけるんじゃないかという高さがちょうどいい。
— 爲末大 Dai Tamesue 熟達論発売中 (@daijapan) April 29, 2012
より合理的という理由だけで不義理な判断をすると、それを見ていた人からの信頼を失い、長い目でみると非合理的な判断をしたことになる。
— 藤田晋bot (@FujitaSusumuBot) May 15, 2012
孤独と現実の厳しさと向き合う覚悟、大志を抱くなら最低限これが必要だと思います。
— 藤田晋bot (@FujitaSusumuBot) May 29, 2012
長い人生から見れば、ほんの短期間、圧倒的努力をしておけば、一気に次のステージに行けるのに、それを怠るか、見過ごすかしてしまい、折角の勝負どこをみすみす逃してしまう人が結構います。
— 藤田晋bot (@FujitaSusumuBot) May 30, 2012
僕は個人的にすごく世界観が似ていたと思う。ようこそ先輩で富士山を上りながら最初は横の列だったのが段々縦になり、最後はそれぞれが足元を見ながら黙々と上がるという教室をやったと言っていた。まさに競技人生の後半はそんな気持ちだった。一人道を歩く。
— 爲末大 Dai Tamesue 熟達論発売中 (@daijapan) June 12, 2012
このツイートは深いです。
【終わり】2001年、初めてのメダルを穫った翌年”ちょっといい子になってないか”とぼそっと言われた事がある。それは公的な意識に目覚めすぎて貪欲さが無くなっていた僕を鋭く突いた。人を目覚めさせる言葉と大人がいるというのを僕は学んだ。僕もいつかそうなりたい。
— 爲末大 Dai Tamesue 熟達論発売中 (@daijapan) June 12, 2012
いつでも見れる様に、張りました。何かを成し遂げた人は本当にすごいと思う。
コメント
コメント一覧 (1件)
うpありがとうございます!
やり遂げた人だからこそ出てくる言葉ですね^^
やはり自分の力だけでやらなきゃいけない時があるんですね。
俺は一人になるってことをずっと避けてきた気がします。